日別アーカイブ: 1月 17, 2008

『ALWAYS 続・三丁目の夕日』 ~ The Book

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正月気分が抜けきらないので、お正月映画をもう一本見てまいりました。

-[[ALWAYS 続・三丁目の夕日(公式):http://www.always3.jp/]]

出てる役者さん、あまり好きじゃないし、東京生まれでも東京育ちでもなし。
というわけで、前作はスルー。でも、人に話をあわせるのに見ておこうかな、と。

あれ?おかしいな。。。目から水が出てきて止まらないよ。。。
*昭和を舞台にした時代劇
観客の多くは、この作品にノスタルジーを憶えるはずもないのですけれど、昭和を舞台にした時代劇と思えば少し納得、かも。
このストーリーを現代で展開するのは、かなりムリがありますけれども、昭和三十年代東京の下町、という時代を舞台にすることで、なんとなく成立してしまうような気になるから不思議です。

実際のところ、この物語以前には戦争、戦後、その後には、水俣病や砒素ミルク事件など各種の公害事件、フィブリノゲンやキノホルムなどの薬害事件。
淳之介たちが大学に行くころには学生運動などなど、激動の時代で、けっこう大変な時代だったわけですけれども。

吉岡秀隆、堤真一、小雪((敬称略))と、私はあまり好きじゃないかなーって役者さんが中心なんですけれども、この映画はハマリ役だと思いました。単に私も歳をくったせいで、こういう映画を面白く感じるようになっただけかも判りませんが。。。
*The Book
 この映画では、茶川の小説が掲載された文学雑誌 『純青』 が何度も小道具として登場します。 『本』からの連想で、これを タロットカードの『司祭』(Hierophant)でタグ付けしたいと思います。

 通常、登場人物たちは、映画の物語、という、直接的には目に見えない、画面に映らないものによって役割を与えられています。この映画では、『純青』 という雑誌は、登場人物たちがその進むべき道を指し示すものとして使われているように感じられます。

 人物たちがこの本を取り扱う仕草も、ただの読み捨てられる雑誌に対するそれではなく、大切な蔵書を取り扱うが如く繊細です。日本映画には、ハリウッドと違い、聖書という便利な小道具が無いのですけれども、この映画での、雑誌の使い方は、なかなか巧いなぁと感心しました。

(これ以上 書くとネタばれになるのでこのへんで)
*[[「神々」の声 (内田樹の研究室):http://blog.tatsuru.com/2008/01/16_1943.php]]
(たまたま、はてブに、関連するようなしないような面白い記事が挙がっていたので追記。)
“ジェインズが資料に使うのはホメロスの『イーリアス』である。
この古典には「意識」とか「意志」とか「精神」とかいう語が存在しない。
~ 中略 ~
「意識」がない人間はではどうやって思考したり判断したりするのであるか?答えは聞いてびっくり。

//思わず、「それ何てハードボイルド?」と言ってしまったオレが居る。

映画においては、おおむね、「物語が要請する役割」と、「個としての欲望」の矛盾としての苦悩があり、それによって面白いドラマが生まれる。。。のじゃないかなーと思っているのですけれども。(これを専門用語で「義理と人情の板ばさみ」といいます(死語)「~すべき」と「~したい」と書いたほうがいい?)

ALWAYSから離れすぎるので、このへんで。また、3月ぐらいになったら、某映画と絡めて続きを書くかも。

//「ジョジョ」に登場するスタンド。((すぐにジョジョを引き合いに出してすんません)) スタンドを使っているといえば「スタンド使い」の超能力を見える化したものといえるのですけれども、丈太郎は登場第一声で 「悪霊に取り付かれている」とのたまっています。そして次のシーンでは、ジョセフによって「それはスタンドだ、お前の超能力が具現化したものだ」と、主客を逆転されています。
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