日本の政治家にもスピーチライターを

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ちょっと話題になってるみたいなので乗っかってみた。

“麻生太郎首相は23日夜、都内で行われた学生主催のイベントで、若年層の結婚について「金がないのに結婚はしない方がいい。稼ぎが全然なくて(結婚相手として)尊敬の対象になるかというと、なかなか難しい感じがする」と述べた。
 
「結婚資金が確保できない若者が多く、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか」との学生の指摘に対する回答。
[[47news:http://www.47news.jp/CN/200908/CN2009082301000685.html]]

詳しくは全文を。

[[47news動画:http://www.47news.jp/movie/general/post_3189/]]
[[麻生総裁発言テープ起こし:http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20090824/tape]]

で、感想
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*結婚資金を確保できるようにするには?
首相の回答は
“「結婚資金が確保できない若者が多く、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか」
という文章に対する答えとしては合ってると思うのだけれど、上記の質問の動機 、質問者がどんな気持ちで、この質問を投げかけたのか、ということに対して、受けとめそこなっている気がします。

“ 「稼げるようになった上で結婚した方がいいというのは俺も全くそう思う。」

そりゃ、この文章を書いてる私だって、そう思います。
貧しい若者のカップルが、麻生首相に個人的 に「金が無いけど結婚したい」 という人生相談をもちかけたのであったら、それに対しての答えだったら、これでOKだと思います。

けれども、質問者の意図は、おそらくそこでは無く、

“自民党は、麻生総理は結婚資金が確保できる世の中にできますか?

とか、

“はたらけど
はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る
( 石川啄木)

-[[ググる:はたらけど はたらけど]]

それは何故か?それなりに働けば それなりに結婚できる程度に稼げるような世の中にするにはどうしたらいいですか?

もっといえば、鳩山さんの場合なら同じ質問に対して、 「[[こども手当て>ググる:こども手当て]]」という答えが返ってくると思いますけれども、麻生さんはどう答えますか?という質問が投げかけられたのだな、と捉えるのが素直な解釈では無いかと思います

だから、想定問答集的、優等生的な回答としては

[[自民、可処分所得「100万円増」目標を公約に:http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090728-OYT1T00060.htm]]

という回答に繋げばよかったのかも、と思わなくもありません。

*もっとスピーチライターを、 そしてボケとツッコミを
人の話の意味をきちんと受け止めるのは難しいものです。
社会思想の先生によっては、「誤読するのが当たり前」 みたいな説をとなえる方もいらっしゃるほどです。

で、麻生総理の音声を動画で聴くに、 なんといいますか、話を引き伸ばしながら返事を考えている感じがします。

うちの父親も、それなりに年ですので時々思うのですが、高齢のかたの話というのは、かならずしも若い人ほど、ポンポン、と言葉がうまく出てくるわけではないし、私たちは政治家を選ぶのであって、漫談家を選出するわけではないのだから、内容が大事だ、という部分はあるわけです。
 少しぐらいのいい間違え、言葉足らずについて、ことさらに揚げ足をとったり、鬼の首をとったように騒ぐのは、行儀が悪いと感じます。

が、政治家の側も、あるていど、
-セレモニー的な場では、事前にきちんとスピーチライターと打ち合わせをする
-想定問答集を作る
-質疑応答は、事前に提出してもらう。サクラ以外の人に質問させない

ということも大事なわけです。株主総会対策などなどでも、テレビのバラエティー番組でも、さらには「お詫び会見」などでもよくある 「仕込み」 です。

そこに、「黒いものを白いものと言いくるめよう」 とか、 「騙して金を巻き上げてやろう」 という悪意が有ってはならないし、誠意を持って回答しなければなりませんけれども、 ある程度、進行をスムーズにするための仕込みは、必要だと思います。

そういう 仕込みが無理な場合は、 司会者がうまく時間を稼いであげる、政治家が、うまく質問の意味を捉えられるように、もういちど、同じ意味を違う文章で復唱してみる、場合によっては、 「勧進帳」 ではないのだけれど、 「その質問に、その回答は違いますよ」」と、うまく「つっこんで」あげることが必要なんじゃないかなぁ、と思います。

(政治家によっては、わざと質問に対する答えをはぐらかす人もいらっしゃいますけれども)

*一人口は食えぬが二人口は食える

“要は、結婚資金について問われたからその答えから入ったが、あとは若者向けに結婚というものは相手の尊敬だし、それには稼げよという説教だった。報道されているような、「貧乏人は結婚するな」ではない。

“くどいけど、結婚するなら共働きしたらぁ、みたいに考えることだろうと思うけど。
[[finalventの日記:http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090824]]

というような意味合いだったのではなかろうか、と捉えるかたもいらっしゃるようですけれども、そうであるならば、こんな回答もよかったかもしれません。

“一人口は食えぬが二人口は食える
(ひとりぐちはくえぬが ふたりぐちはくえる)
 
生活するには、独身でいるよりも世帯をもったほうが経済的に得策であるということ。 
[[Yahoo!辞典:http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%90%E3%81%A1%E3%81%AF%E3%81%8F%E3%81%88%E3%81%AC%E3%81%8C%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%81%90%E3%81%A1%E3%81%AF%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%8B&stype=0&dtype=0]]

ただ、それはたぶん 鶏が先か卵が先か、という話でもあって、
“ 「一人口は食えぬが二人口は食える」
と、ことわざにも有るので結婚したい!
でも、結婚資金が確保できなくて結婚できません (><)

という人が増えてるんじゃないかとも推察するのですけれども。

*納涼Jホラー 「おじろく おばさ」
さて、最後に、ちょっと脱線。 16世紀~20世紀日本に存在したと伝えられるワーキングプアの結婚(できない)問題

信じるか信じないかは、あなた次第です、、、、 っていうか、ソースは示されているので国会図書館あたりで調べれば確認できるのでしょうけれども(信じたくない。。。)

“さてその飯田線に、中井侍(なかいさむらい)という、ちょっと変わった名前の無人駅がある。長野、静岡、愛知の三県の県境あたりに位置する駅である。
(中略)
このあたりは高山の谷間で平地が極端に少ない。耕地面積が充分とれないから、産めよ増やせよというわけにはいかず、なんとかして人口を制限をしなければ共倒れになってしまう。そこで、この村の人々は奇妙な人口制限法を考えた。
 まず、一家のうち長男だけが家督を相続し、結婚して社会生活を営む。次男以下と女の子は、他家に養子になったり嫁いだりしないかぎり結婚を許されず、世間との交際を禁じられ、生涯戸主のために無報酬で働くのである。
 この村では、こうした制度が16~17世紀ごろから何百年も続いていたという。こうした男は「おじろく」、女は「おばさ」と呼ばれ、家庭内の地位は戸主の妻子以下、戸籍簿には「厄介」と記され、村人と交際もせず、村祭りにも出られなかった。
[[サイコドクターあばれ旅:http://psychodoc.eek.jp/abare/ojiroku.html]]

マインドコントロールの手法のひとつとして、過酷な環境に放り込む、というものがあります。人間は環境が苛酷であればあるほど、それに対して反抗する気力も失い、頭を使って考える余裕も失うからです。

21世紀には、ごく普通の人に、今まさに、こういうことが降りかかろうとしている気がするのですが。。。私の気のせいだといいなぁと思います。

私が、上記の話を恐ろしいなぁ、と思うのは、自分がそういう立場に置かれたならば、ということと同時に、 自分が経済モデルの設計を任された時、ついうっかりと、それを真似してしまわないか、その誘惑に負けてしまわないか、ということ (そんな立場には絶対させてもらえないので安心)。つまり、経済合理性の、経済に限らず合理性、論理的正しさというものの内包する、ある種の残酷さ。人間は、ここまで恐ろしいことが出来るのだ、という事実。それが恐ろしい。

陰謀論的に考えると、経済がゼロサム・ゲームであるならば、自分の取り分を増やすには、 ”日本人の人口は、もっと減ったほうがいいと考える人だって居る”はず。 国内にも、世界にも。

日本人の学者さんにも「日本の国土に1億人は多すぎる」 みたいな発言をされるかたも居ます。 労働力が必要なら移民受け入れを増やそう、という人も。 

そして、 そういう人が日本の経済や政治の意思形成に影響を与える立場であったならば、 ワーキングプアは 第2、第3の 「おじろく、おばさ」 となりつつあるのではないか?

。。。という陰謀説をちょっと考えてみました。
ただ、そこまで合理的に判断して、「悪意を持って」 そういう政策を推進する人は少ないないだろう、と思います。(居ない、とは言い切れませんが)

ただ、一人ひとりの政治家、官僚、学者、そしてマスコミは全体像を捉えることが難しいから、無自覚なまま、そういう方向に社会が進んでしまう、ということは有るかもわかりません。

「おじろく、 おばさ」 も、必ずしも 為政者によってデザインされたものではなく、 たぶん、なんとな~~~く 「集団知」 によって形成されていった身分制度、ではなかろうか? と推察されるだけに。。。
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