『アリジゴクも 蚊も 蝉も、おしっこする』

これは 日本経済を『失われた20年』というアリジゴクから救い出せるぐらいの大発見だと思う。

アリジゴク、おしっこする 千葉の小4が通説覆す発見 (朝日)
千葉の小学4年生、アリジゴクは排泄しないという通説を覆す?(スラッシュドットジャパン)

以下のコメントがスラッシュ・ドットジャパンに寄せられています。
例えば、10年以上前の論文 [nih.gov]ですが、アリジゴク(antlion)の排泄物について研究した論文というのも、とっくに出てるようです。
でも、リンク先は英語だったので読むの断念。

で、実は関連記事を見ても発見できなかったのが「アリジゴク= ウスバカゲロウの幼虫は排泄しない」 という通説のソース。

というわけで検索してみました
Googleで 「アリジゴク ウンコしない」

。。。すでに、この小学生の記事でいっぱいに【汗

生態には
まだ謎多く ~アリジゴク~(苫小牧民報内記事)

こちらには うんこしない、という話は載ってますが、おしっこの話は無し。

論文検索Googleスカラー
ウスバカゲロウ、アリジゴクなどで検索したけど、特にオシッコに関した論文は検索にひっかかりませんでした
前述の朝日の記事ですが

「砂の魔術師アリジゴク」などの著書がある京都教育大学の松良俊明教授は「アリジゴクはエサの体液を吸うので糞はしないが、尿として出す可能性はある。ほとんどふさがっている肛門でも、液体なら通るのでは」と話す。「砂が尿らしき物で固まっていたのを見たことがあるが、白い紙を使って尿の染みまで確認したのは聞いたことがない」

なんとなく、ネコのトイレの砂を掃除したことあるかたには想像しやすい光景じゃないかとw

つまり、ウンコしない、という話は不思議で珍しいから伝播したけど、 オシッコするほうは『普通』なので伝播しなかった。
 それが、 「アリジゴクはオシッコしない」という 『通説』に転換したのかもしれません。

<<蚊も、蝉も おしっこする>>

ちなみに、アリジゴク動揺、液体しか吸わない昆虫の代表  『蝉 (セミ)』も、おしっこします。

実は『蚊 (か)』も。。。。昔、蚊がおしっこする瞬間の写真を見たことがあるのですが、蝉同様、かなり豪快でした(汗、、雑誌名は失念。

間違ったパラダイムが定着すると、修正するのはむずかしい

論文検索Googleスカラーには、「巨人の肩の上に立つ」 という言葉が書かれています。
これが誰の言葉であるか、ということも諸説あるようですが、それはさておき。

科学はさまざまな過去の研究の上に成り立っています。
で、その数多くの研究から導き出され、各学問の定説となった事柄がパラダイム。
 そのパラダイムが間違っている、ということを証明するのは、すごく大変なことです。
 (なにしろ、ピラミッドから石を一個抜き出すようなものなのです!)

 独創的な学問とは、積み上げられた学説のピラミッドの上に石を一個積み上げるような作業であって、既存のピラミッドをバラバラにするような作業ではないことは どなたにも理解できるかと思います。

 基本的には、その学問に入門するということ=パラダイムに疑念をはさまない ということを意味するので、 パラダイムシフトというのは 多大な労力を必要とします。

 もし、本当に「アリジゴクはオシッコしない」という通説が有るのだとすれば、本職の学者さんは、それに疑念を呈するような研究は、したがらないのではないでしょうか? 
下手に オシッコすることを発見しちゃうと、偉い先生の覚えもめでたくないですし。
 少なくとも、 『アリジゴクはオシッコしない』という記述をした先生には 厭な顔をされると思いますが、、、 そういう記述をした学者さんは たぶん 居ないんじゃないかと思います。 前述の朝日の記事に登場した松良教授も「砂が尿らしき物で固まっていたのを見たことがある」 って答えてますし。

ビルトインスタビライザー

 不毛な行動のことを よく「賽の河原」と形容しますけれども、 やたらと再現なく既成概念を疑ったり、過去の論議を踏まえずに発言していてはキリがありませんし、文明としてはマズイ、です。 
(ネットでもマスコミでも、よく 同じ話題がループしてます、よね)
 ゲームでも、うまくいかないたびに リセットボタンを押して最初から初めていては 物事が積み上げられない。途中の状態をセーブ可能なら、 適度にセーブした時点までの手戻りにしたほうが効率がよいわけです。

 文明は 少しずつ積み上げていく行為である、ということに疑念を抱く人は居ないと思います。
(そういうパラダイムがあって、その上で改革とか革命があるわけですし)

 が、同時に、人間が完全でない以上、既存の学説に一定の割合で誤りがあることも、過去の歴史が証明しています。
 
 じゃぁ、どれが正しくどれが正しくないのか、、、、このあたりの見極めの話は。。。厳密には 第3巻『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』あたりが詳しいですけれども

ひとつの事柄だけを見ても、それが正しいかどうか判らないことは有る。

 でも、同じ事柄に関して、複数の学説を併記したときに、学説同士が 同時に成り立たない、 矛盾する、ということは立証したり、観測できるわけです。
(数学で言うところの 背理法。統計で言うところのややこしい「帰無仮説」なんかも 同じ文脈?)

 アリジゴクがおしっこしても、しなくても、そんなに社会の大勢には影響が無いと思いますけれども、 社会の根幹を成す学問のパラダイムや数理モデルに同様の確率でバグが混入していたら、由々しき事態です。
 当然、流行の学問分野であれば関わる人も多いので、当然、『バグ取り』も盛んだから、バグの混入率も低く見積もって大丈夫だと思います。

が、同時に、『アリジゴクがオシッコする/しない』という、取るに足らないl、ささいな事柄であってさえも、 それについて疑義を申し立てることは 大変に手間ヒマもかかって、大変だ、ということは、 今回の記事で明らかなのではないでしょうか?

(それが、人間の文明が持っている 負のフィードバック、 すなわちビルトイン・スタビライザーであり、社会に安定をもたらしている、 という効用もあるわけです)

失われた20年というアリジゴク  そこからの脱出方法は?

 今回の 『アリジゴクがオシッコすることを小学生が発見』したニュースは、 いみじくも、 日本社会が陥っているアリジゴクからの脱出法のヒントを与えてくれているような気がします。

 その意味は、、、 「自分の胸に訊け」 じゃないのですけれども、 それぞれの立場、仕事によって、そこから感じ取る事柄は いろいろなんじゃないでしょうか? たとえば、

・リフレ派について 「それが既存の学派において認められるように努力すべきであって、民衆を扇動するような行動は慎むべき」 という人もいるけれど、「アリジゴクがオシッコ する/しない」 という、きわめてどちらでもいい事柄ですら、 一度通説になると修正が難しいのに、社会の根幹に関わるようなパラダイムシフトって、 よっぽどのことがないと無理ですよね、って思う。
(リフレ派と リフレ無理派のどちらが正しいのかは 私にはわからないですが、経済問題の場合 「程度問題」 ってことがあるので、 なんとも。。。。)

とか。。。 

<<追記>>

◎ 受験勉強だけを考えると、 いちいち疑問を持たず、教科書に書いてあるとおりに 『アリジゴクは オシッコしない』 と憶えたほうが 勉強の歩留まりが良い。

 自分も要領悪いですけど、最低限のコストでいろんなことが出来ない分、人よりもいろんなことを余分に体験できるんだ、と思って、自分を慰めることにしていますw

きりがないので、このぐらいで。

世の中に完璧なものなんか無いけれども、小学生ですら努力すれば よりベターなものを提供することができる、という意味で、 オッサンとしては いろいろ考えさせられる記事、 でした。 反省。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。